勝山城を掘る
勝山城の堀の一部と柴田勝安時代の遺構を発見
勝山市元町一丁目の勝山城跡発掘現場を訪ねた。勝山城の跡は昭和四十年代に行われた中心街整備で完全に姿を消し、現在大部分が市役所、市民福祉会館、公園などの公共施設に変わっている。従来遺構調査は全くおこなわれていなかったため、勝山城跡の発掘 調査は今回初めてである。発掘地点は、宝永六年(一七〇九)に幕府に提出した「勝山城再建絵図・添書」によると、城南側に位置する大手門の正面を守るための「南馬出」の堀があったとされる場所。北東側に深さ1.2m、最大で幅6mの堀が見つかった。反対側の岸は発掘区域外のため確認できていないが、堀は幅27.8m、深さ1.5mと推定される なお、この馬出しの内側には追手門があり、藩庁や藩主御殿があった。
遺構の一部には、安土桃山から江戸初期と推定されるものも出ており、柴田勝安が天正八年(一五八〇)に勝山城を築いた時の遺構とみることもできる。なお、勝山城は元和元年の「一国一城令」で一部が壊されたものの、元禄四年に小笠原貞信が入部後、宝永五年に第二代信辰が築城の許可を得て、城の再建に着手。以降百年余りにわたって順次建設が進められたものである。
▼発掘現場(福井銀行予定地)▼馬だしの堀と堀底
▼発掘された堀全景
▼底にたまった粘土質部分と上部の
埋め立てた土で色が違う▼安土桃山時代(柴田勝安時代?)
の遺構▼柴田時代?から出土した遺物
絵図をクリックすると拡大して発掘箇所を確認できます
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撮影2002.08.18
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