■■■ 越前・若狭(福井県内)の中・近世城跡の紹介■■■

倉館2・一乗谷朝倉氏遺跡その2(あさくらやかた 福井県福井市城戸ノ内町)
 

館跡にある朝倉義景墓

 館跡の東南隅旧松雲院墓地内にある。朝倉義景は、天正元年(一五七三)八月二〇日、大野六坊賢松寺で一族の景鏡の裏切りにより自刃。法名は松雲院殿太球宗光大居士である。現在大野市にも義景の墓があるが、これは江戸時代に建てられたもの。館跡の墓は天正四年村民の建てた小祠が始まりで、寛文三年(一六六三)福井藩主松平光通によって現在の墓塔が立てられた。
 館跡には当初朝倉氏の菩提寺心月寺が置かれた。朝倉氏滅亡後一時丹生郡に避難していたが、慶長四年館跡に再興された。ところが、慶長六年に北ノ庄に移り、館跡の寺と墓は心月 寺の末寺として義景の法名をとって「松雲院」として残されることとなった
 発掘前の館跡地には中央に「松雲院」が、西北部に「足羽町一乗谷支所」が置かれていたが、発掘開始時にそれぞれ移転し、松雲院は心月寺と統合となった。


日本最古の花壇

 昭和43年朝倉館跡を発掘中、歴史的な新発見があった。常御殿の南側中庭で花壇跡が見つかったのである。東西で9.8m、南北で2.8mの長方形の形をしている。花壇としては日本最古の遺構である。
 当時の有力武家屋敷や貴族の邸宅に花壇がもうけられていたことは、資料からわかっており、また朝倉氏も館内に花壇を設置していたことは公家の日記からもわかっていたが、遺構の発掘は初めてであり、大発見であった(四代孝景の時、富小路資直が一乗谷を訪れ記録している)。
 なお、残存花粉の調査から植えられていたのはキク科、ユリ科、アブラナ科の花であることがわかっている。
 ただ、朝倉館に花壇は以前から存在したとしても、発見された花壇はその場所からみて足利義秋の一乗谷下向にあわせたものと考えられる。


館跡庭園(やかたあとていえん)

 館跡庭園はその名の通り朝倉館跡にある。諏訪館庭園と庭石組みの構成が酷似していることから、同じ義景の代の作庭と考えられている。東南の斜面を背景にして構築されており、東側急斜面に、つづら折れに流れ落ちる庭池への導水路が築かれている。
 浅い園池には平らで大きな川石がびっしり敷き詰められている。こうした形式の類例は、全国的にも少ないという。また、庭石の一部に海石である越前産の安島石が7、8個使われている。安島石は庭石として一級品という。 なお、一部の護岸石に建物の礎石と同じものが使用されているとのことで、そうであれば、やはり義秋の下向に合わせて作られたものと見ることができる。


湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)

 湯殿跡は、朝倉館跡を見下ろす海抜63m高台にある。いつ、何代目の当主が建て、だれが住んだか、文献、資料がなく分からない。またどんな館だったかも充分には分っていないが、東北隅から、西南隅にかけて、東南に面して鍵状に建ってい たと考えられている。おそらく客殿として利用されたのではないかと考えられる。
 発掘された庭園は、「観音山」という小山を背景にして、南北に長く、池は、深さは50cm程度であるが、かなり入り組んだ形をしている。石組みは山側に屏風のように大きな石が立っており、幅、長さなどで二米を越える石もある。戦国の気風を漂わす荒削りで力強い石組みから、四つの庭園の中で最も古いと推定されている。
 なお、現在は水が引かれていないが、発掘調査の結果、導水路や排水路の跡が確認され、往時は清水をたたえていたと考えられる。
 昭和42年に発掘された南側に、空濠の石垣が残っている。


中御殿跡(なかごてんあと)

 朝倉館に南隣し、湯殿跡庭園から空堀を隔て、ほぼ同じ高さの台地にある。朝倉義景の母高徳院の屋敷跡と伝えられている。東側と南側は土塁に囲まれるが、昭和四七年(一九七二)以降の発掘調査によって南の土塁に門、また庭園跡と建物跡の一部が検出されたが、庭園の石などは持ち去られ、遺構としては充分でない。


諏訪館跡庭園(すわやかたあとていえん)

 諏訪館は、朝倉五代当主義景が4人目の側室「小少将」のために造ったと伝えられる館で、その庭園は遺跡に特別名勝に指定されている4つある庭園の中でも最も規模の大きな庭園となっている。
 義景は最初、管領家の細川氏の娘と結婚するが、まもなく死別。近衛家の娘と再婚するもこれは離婚、3人目 に朝倉時代の越前守護でこの頃には客臣化していた鞍谷氏(義廉流斯波氏)一族の娘を側室に迎え、愛児・阿君(くまぎみ)をもうけるものの早世(毒殺)し、また妻も 死去。そして4人目の側室として家臣・斉藤兵部少輔の娘「小少将」を迎え、一子・愛王丸をもうけた。
 庭園は上下二段構成からなり、上段は小規模な滝石組み。下段の中央、カエデの古木の下には、高さ4.3mにもおよぶ立石を使った豪壮な滝石組みがある。なお、高さ4.3m、幅2.5mある石の表面には氏景、貞景、孝景の法号が陰刻されているが、これは弘化三年(一八四六)心月寺十八世月泉和尚の筆になるもので江戸時代のものである。
 滝口の前方に水分け石が置かれ、左側の池尻には立派な石橋がかけられている。一乗谷の庭園の中でも最も規模の大きい庭園である。なお池泉回遊式庭園では、日本でも第一級の豪華さを誇るといわれてい る。
 県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館には当時の諏訪館の屋根板の重しや、魔除けとして棟先に据えられていたと思われる「鬼瓦」が展示保存されている。
 

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*復元武家屋敷、上・下城戸、南陽寺跡、石仏群などは別にとりあげます。

地図はここです
JR福井駅から越美北線で20分弱、一乗谷駅下車、徒歩30分
京福バス「浄教寺行き」で30分、朝倉館前下車
 

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Copyright (c) 2002 H.Okuyama. All rights reserved.
撮影は2000年
5月 〜2002年8月
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