■■■ 越前・若狭(福井県内)の中・近世城跡の紹介■■■

井城跡 (ふくいじょう 福井県福井市大手三丁目)
 


 福井城は、天正3年に織田信長より越前支配を委ねられた柴田勝家が築城した北 ノ庄城を前身としている 。

 慶長5年、関ヶ原に勝利した徳川家康は、2男の結城秀康(2代将軍秀忠の兄)を関東の結城から越前68万石北 ノ庄に移封した。

 福井藩主となった結城秀康は、慶長6年7月28日越前に入部し、9月、清水孝正を惣奉行として新北ノ庄城(福井城)に取り掛かった。
 一説によれば、本丸・二の丸は家康縄張りといわれているが、それはともかく、家康の命により全国の大名が手伝普請にあたり、「制外の家」らしく高さ約37m四層五重の雄大な大天守と足羽川と荒川を外堀として利用し、三重・四重の堀と石垣、多くの櫓や城門をもった巨大な城が完成したのは慶長11年であった。 因みに外堀の延長は5Kあった。
 以後、約270年間幕末まで越前松平家の居城となった城である。

 福井は、元々「北ノ庄」と呼ばれていたが、「北」は敗北に通じるため、「福居」と改め、それがのちに「福井 」になったといわれている。また天守台の横手の井戸「福ノ井」から福井になったともいわれている。
 


本丸内の秀康石像

 
 壮大な天守閣は、本丸御殿をはじめ侍屋敷379軒、町家2676軒が焼失した寛文9年4月15日の大火で焼失、以後再建されることはなかった。

 維新後、堀は埋められ建物や外塀もこわされ福井の市街地として整備されたが、昭和20年7月19日の大空襲で市街の95%が破壊された。復興まもない昭和23年6月28日の福井大地震で 福井市街は再び壊滅的打撃を受けた。

 現在は本丸と内堀が現存しているのみであるが、十分な貯水の内堀と本丸石垣は見ごたえがある。
 関連史跡としては、松平家別邸「養浩館(御泉水屋敷)」、「瑞源寺本堂(本丸御殿小座敷を移築)」、「瑞源寺書院(本丸奥御座の間移築)」がある。

地図はここです
福井城散策(PhotoAlbum)はここです (福ノ井、周囲から見た石垣など掲載)
 

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撮影2002年6月

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