■■■ 越前・若狭(福井県内)の中・近世城跡の紹介■■■

一乗谷城跡 (いちじょうだにじょう 福井県福井市城戸ノ内町)
 

 朝倉館跡の背後にあるのが一乗谷城である。朝倉氏によって築城されたの は事実だが、築城時期ははっきりしない。
 朝倉氏が越前に入ったのは建武四年の越前初代とされる広景の時である。戦国初代の孝景は朝倉七代にあたるが、一乗谷に入ったのは、一般的にいわれているこの孝景の越前支配よりも百年近く前と考えら れる。
 貞治年間に一乗谷を含む宇坂荘の地頭職を得たときから一乗谷に入り込んだと見るのが妥当で、一乗谷の南陽寺は朝倉三代の妻女により創建されており、三代の時に熊野社を一乗谷に勧請したことも見え るなど、七代孝景よりも四代も前から一乗谷に関する活動記録が見られる。
 孝景の祖父(朝倉五代)の時には完全に一乗谷を拠点にしていた。一乗谷城も孝景の祖父が築いた可能性が一番高い。
 孝景の祖父朝倉氏五代教景の永享年間前後の築城とみるのが妥当であろう。

 一乗谷城は標高四七三mの山城であるが、朝倉氏滅亡時はもとより一度も戦われることなく廃城となった城でもある。

 城跡への登山路は
1)下城戸外の安波賀からの尾根伝い道
2)馬出から登る道
3)朝倉館の後方や諏訪館の後方から登る道

の3ルートがあるが、通常は2と3のルートを使用する(3を利用して登り、2を利用して下山)。

 本丸跡には標柱が建っている。一七個の礎石の残る山上御殿(千畳敷)跡である。この付近に堀切や土塁によって区切られた観音屋敷跡・赤淵明神跡・宿直跡・月見櫓跡が集中する。観音屋敷は三方に土塁をめぐらし、枡形虎口も設けられている。宿直跡からの見晴らしは抜群で、福井平野を全部見渡せる、天気がよければ三国湊まで遠望できるといわれている 。
(私はこれまで2回登ったが、福井平野の眺望は堪能できたが、運悪く三国までは霞んで見渡せなかった)
 本丸があるのは四一六mぐらいのところで、通常の山城と違って本丸があって、そこから東南の頂上に向かって尾根伝いに「一の丸」(標高四四三m)、「二の丸」(同四六三m)、「三の丸」(同四七三m)と続く。総延長は約 五百mに及ぶ。各郭がそれぞれ堀切によって区切られた連郭式城郭である、

 「一の丸」には空堀があり、「二の丸」には大きな堀切が見られる。「三の丸」は最も高く、堀切と多数の竪堀で守られている。一番奥まったところが山頂四七三mである。
 このほか竪堀や防衛のための伏兵地と伝えられる窪地もあるが、それぞれの郭自体は小規模で、いづれも遺構らしきものは何もなく雑木林となっている。また、展望もきかない。
 

一乗城山を登る(分館「戦国大名越前朝倉氏」に移動します)
登山時間は3のコースで通常1時間だが、中高年は途中休憩を含め1時間20分はみたい。2コースの下山も通常は40分といわれるが、膝を痛めるので1時間はみたい。
(以上私個人の場合で、山登りに慣れた中高年の方は通常時間で計算して下さい)

地図はここです

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撮影2002年9月

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