■■■ 越前・若狭(福井県内)の中・近世城跡の紹介■■■

室山城跡(みむろやまじょう 福井県勝山市遅羽町ウ崎

  勝山盆地の南部、九頭竜川左岸の遅羽町ウ崎に美しい円錐形をなす標高183mの小丘がある。


 このふもとで縄文遺跡が発見されたため一躍有名になった三室山である。
 この小丘の山頂は2段に削られて平坦になっており、中世の砦跡、三室山城の跡である。
 
 天正2年正月から、本願寺は越前門徒へ決起を呼びかけ、一向一揆が蜂起し、信長の奉行人や信長に降った朝倉旧臣を次々と攻撃、事実上大名(武士)による支配を崩壊させる「体制破壊」へと突き進むが、朝倉義景を裏切った朝倉景鏡は身の危険を感じていち早く同じ裏切り仲間の平泉寺に逃げ込んだ。このため、本願寺は裏切り者の平泉寺の破却と景鏡の討伐を門徒に命じた。こうして史上名高い、一揆と平泉寺との戦いが展開する。

 

 袋田を拠点し朝倉旧臣でもあった島田将監(保田殿)は、一向一揆に与し保田城や檀ヶ城を築き、越前の本願寺派リーダー和田本覚寺を迎え入れるとともに、平泉寺の動向を探るため、平泉寺の川向にあたる三室山に城砦を築いた。これが三室山城である。

 城砦はふもとから一気に登るため、かなり急斜面だが、数分で頂上に着く。本丸、二の丸というわけではないが、頂上は「一の郭」と「二の郭」という2つの平坦な段丘に区分されており、土橋で繋がっている。何れも、見晴らしのよさは抜群。視力が悪い私でも対岸の平泉寺付近がよく見える。昔はものすごく視力のいい人もいたから、平泉寺と軍勢の動きはかなり把握できたのではないだろうか。その意味で一揆側にとって重要な役割を担い、平泉寺にとっては目障りな城砦だったと考えられる。それは、一揆側はこの城を守るために両脇に妙法ヶ鼻砦と鍋取山砦を築くなど万全の体制を取っていることからも解る。

 

 

 

 

 

  しかし、この城の役目は以外と早く終わった。
 4月に入ると一揆勢は戦いを有利にすすめるために、14日九頭竜川右岸の平泉寺と一揆側の本陣壇ヶ城との中間にある村岡山に砦を築いて平泉寺勢と対抗しようとした。平泉寺勢は、村岡山に砦を築かれると不利になるため、景鏡を大将として村岡山を攻撃、しかし、一揆側は、逆に 裏手から手薄となった平泉寺に攻め込み、放火、その火は全山に燃え移った。これを知った村岡山近くに布陣していた多くの平泉寺勢は急いで平泉寺へ退去しようとしたが、逆に追い討ちをかけられ敗退、景鏡も討たれ、結果全山が焼失し 平泉寺は滅亡した
 その後この山城が使われた記録はない。

 三室山のふもとは春日神社(創立年代不詳)となっており、県下有数の縄文集落遺跡と一向一揆についての簡単な説明板がある。縄文遺跡は県指定遺跡であり、山一帯を三室山史跡公園と呼称している。

 

地図はここです
 

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撮影2002年7月 2009一部更新

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