■■■ 越前・若狭(福井県内)の中・近世城跡の紹介■■■

岡御館跡(まつおかやかた 福井県永平寺町松岡葵1丁目)

 松岡は、越前平野の東端に位置し、北部には九頭竜川が流れ、川向こうには平地が続き坂井郡の丸岡に続いている。
 古代より拓けていたところで、春日山古墳では横口式舟型石棺が出土し、二本松山古墳では銅板鍍銀の一対の天冠も出土している。また、手繰ケ城山古墳は、標高約150mの山頂にある古墳で、全長128.4m、高さ15.2mと北陸最大の古墳であり、築造は4世紀末から5世紀初頭と推定され、国の史跡としても指定されている。
 この地は、奈良時代には「江上郷」と呼ばれ、その後は「芝原荘」と呼ばれていたが、正保2年第3代福井藩主松平忠昌の遺領のうち5万石が次男・昌勝に分地され、この時はじめて松岡と命名され松岡藩が創設された。

 藩庁・藩主居館(「御館」)の造営が開始されたのは承応2年で、九頭竜川の段丘を利用し、規模は東西で200m、南北で140mぐらいと言われ、「片聾記」によれば7,780坪の地が充てられたという。
 館の周囲は土居と小堀で囲われ、表門は館の東側に、裏門は西側に、この他東北隅に寅の門、北に小裏門が作られた。藩士は寅の門から出仕した。
 さらに「御館」を取り囲むように侍屋敷(家中)が建てられた。また家中の外側にも土居が築かれ、町屋と区別されており、勝山街道はこの町屋の間を鍵型に曲りながら通じていた。
 「御館」跡地は、現在、南北に県道中川・松岡線が、東西には えちぜん鉄道(旧京福電鉄越前線)が走っており、遺構は全く無いに等しいが、「御館」の裏の段丘は今もその姿をとどめ ており、館西門の近くにあった庭園の一角も、ホンの僅か(まさに「猫の額」)だけ残っている。樹齢300年という「お館の椿」がそれである。かつての松岡藩の名残りとして町民からも親しまれ、毎年4月の初めに真っ赤な椿が見事な花を咲かせる。
 

 昌勝、昌平と2代に渡って栄えた松岡藩だが、亨保6年に昌平が本藩の福井藩を継ぐこととなったために、77年間にわたった松岡藩は廃止された。

 「奥の細道」の松尾芭蕉ゆかりの天竜寺には、昌勝公の木像を祀った御像堂(ごぞうどう)があり、毎年8月27・28日には昌勝公をたたえる「御像祭り」が開かれている。
 また天龍寺には松岡松平家の墓所が残されている。

地図はここです
 

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撮影2002年6月、2009年7月一部更新

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