■■■ 越前・若狭(福井県内)の中・近世城跡の紹介■■■

山城跡(いぬやまじょう 福井県大野市犬山)
 別名:戌山城 斯波氏庶流大野氏の居城


 越前と美濃を結ぶ旧美濃街道(大野街道)が、花山峠を越えて大野盆地に入ると右手(南側)に目に入る山が、飯盛山山系の犬山(高180m)である。
 
なお、最近は犬山城の麓を国道158号のバイパスが通るようになり、花山峠を通る機会は減少している。

 康暦元年4月、斯波義将は、将軍義満の御所を包囲して圧力を加え、管領細川頼之を京から追放した (康暦の政変) 。直後、義満からの管領就任要請を受諾し、全国守護の一斉更迭を行い、細川派の力を削ぐとともに、自身は畠山氏と越中守護職と交換することで、念願の越前守護職を奪還した。

 その義将は弟の義種に大野郡を任せ、犬山城を築かせたといわれる。
 名族斯波高経の五男として生まれた義種は、幼少のころ最初の守護職として若狭守護に任ぜられ、兄義将の管領時代には、信濃ついで加賀の守護に就き、被官の二宮氏を守護代として支配にあたったが、その子の満種時代に、将軍義持から忌避されて高野山へ遁世し、以降は守護職に就かず、被官二宮氏とともに私領ともいうべき大野を拠点とした。もちろん、武衛家(斯波宗家)の庶流として被官の二宮氏ともども大半は在京していたが、武衛と違って越前へ下国することもあったと考えられる。

 その斯波氏庶流(大野氏)の居城犬山城は、中世の山城の特徴を良く残しており、特に山麓より山頂にかけて大規模な堀切跡は、さすが斯波氏の居城という印象を与える。
 登山口はこれまで充分整備されておらず、かつては清滝の洞雲寺の後背から登ったが、現在は北西端に登山道が開かれ、誰でも登れるようになっている。

▼主郭跡 ▼堀切跡

 ただ、主郭(本丸)に近づくにつれて、堀切は大規模で、かなりの高低差があり、高齢で膝に障害のある方は、一人で登ることは避けたほうが賢明であろう。周辺の郭は一辺10m前後で、全て見たわけではないが、10以上はあるものと思われる。
 本丸(主郭)は、一辺30m程度で北側の頂上の平坦部にあり、大野市教育委員会の解説案内が設置されている。周辺には空堀もみられ、竪堀あとも散見される。また 、南側や東山麓にも城砦が広がっており、かなりの規模である。
 主郭からの眺望は、後に大野城が建立された亀山も含めて大野盆地が一望でき、抜群である。

 応仁の乱の発端を担った斯波氏の家督争いの当事者である斯波義敏は、この庶流大野氏(斯波持種)の出身である。
 後、朝倉氏の越前支配とともに、この山城も朝倉氏に接收されたが、朝倉氏滅亡時にはもう殆ど使われておらず、最後の大野郡司朝倉景鏡は平地の亥山城(土橋城)を居城としていた。
 朝倉氏支配が安定し、繁栄を謳歌するなか、要害山城の意義が薄れていったのは当然かもしれない。

 朝倉氏滅亡後の天正三年、大野に入部した信長臣金森長近は一旦犬山城に入ったものの、亀山に新城(大野城)を、その麓周辺部に家臣や町人を配置するあらたな城下町づくりに乗り出し、犬山城は廃城となった。
 

地図はここです
 

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撮影2003年6月

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