坂本・石垣真盛上人

8月13日、京都の娘のところまで、今回は湖西をとおり車で出かけました。目的は坂本散策。

坂本は延暦寺と日吉大社の門前町として栄え、今も「穴太衆積み」と呼ばれる石垣が町の随所に残る町。また、あの明智光秀が水城として有名な坂本城を築いた場所でもある。

明智光秀は信長に仕えるまでは足利義昭とともに越前朝倉氏に身を寄せており、真盛上人も越前での普及活動は有名で、朝倉氏は一族こぞって帰依している。 二人と越前との関係は浅くないのである。

光秀と真盛上人は時代が違い直接関係ないが、 西教寺は真盛上人が再興した天台真盛宗総本山で、元亀二年(1571)、織田信長の比叡山焼き打ちで壊滅したが、明智光秀が復興に力を注いだ。その縁で光秀他明智一族の菩提寺となっており、妻の墓もここにある。

そんな歴史に思いをめぐらしながら散策してみました。


琵琶湖湖岸の坂本城址
 (公園入り口)

本丸跡公園の明智光秀像

公園に残る石垣跡
  (但し後世のもの)

西教寺の明智一族墓

西教寺正面(左が総門)

西教寺総門(坂本城城門遺構)を裏側から撮影

穴太衆積み石垣

両側に天台僧の里坊と穴太衆の作った石垣が並ぶ日吉神社の参道

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撮影2002.08

 

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