明治・大正・戰前期に福井経済を牽引した起業家や経済人の事績
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業界改善に努めた生糸織物商のリーダ
松島 清八
 (まつしま せいはち)

 明治初期から生糸織物商を営み、先進的な地場の織物業者として、業界の組織化にも努め、織物王国福井の基礎づくりをした業界人である。
 松島は嘉永5年(1852)6月、先代松島清八の長男として福井市の勝見地区(手寄中町)に生まれた。 明治6年から手織機10台で奉書紬の製織に従事、明治9年には生糸織物商として販売部門に進出し、この地区の機屋に原料を供給して、製品を買い取っていた。製品は奉書紬、傘地、薄絹、羽二重などである。

 明治15年には、横浜絹物売込商組合と取引契約して織物の輸出に当たった。横浜には支店を設け、福井の商人の意気を示す。29年8月には横浜市十二番館ストロン商会から薄絹の注文を受けて試織に成功し、福井だけでなく丸岡方面 にも支店を設置し、60軒余りの機屋に注文し、薄絹ブームを巻き起こした。

 松島は単なる商人として事業に成功するだけでなく、流通改善などを通じ業界の組織化に力を注いだ。明治16年に早くも福井絹盛会を創設し、絹織物の取引改善や信用の確保に努力した。

 明治29年商品運送保険会社を設立し社長に就任、32年には精錬技術の向上のため精錬合資会社を設立し社長就任、33年6月には福井羽二重倉庫会社を設置し低利資金の融通 の途を開くなど関連する分野でも大きな実績をあげ、明治35年には納税額は4千円に達し、貴族院議員の互選者となった。

 また大正に入り、足羽川〜三国港を利用して輸出羽二重を輸送するプランを考え、その具体化の一つとして福井市の立矢地区に土地千坪を買収して福井紡織会社 (資本金20万円、後40万円に増資)を設立した。
 役員や出資者には、森広三カ、福島文右衛門、谷口宇右衛門、高島七郎衛門、久保九平、伊藤紋太カなど当時の代表的人物が名を連ねている。
 なお、この会社は強い買収要請で、資本金の三倍の金額で服部紡績に売却されたが、戦時中は国際航空会社として軍需物資の生産に従事させられ、戦後、 この地は戦災で燒失した福井工業高等学校(現福井大学)が一時疎開するなど幾多の変遷を経て、現在は「福井紡績会社」が経営されている。

 松島は商工会議所活動にも積極的で、明治27年4月には商業会議所の議員に当選しているが、明治36年新商工会議所法の下で、福井商工会議所が組織を一新して 再出発した時、地元金融機関の代表として石田磊(九十二銀行頭取)が会頭に選出され、松島清八は地域の有力産業・織物業界の代表として副会頭に就任した。石田会頭の女房役として、二人で新会議所法に基づく会議所の基礎固めに力を発揮した。

 明治39年、本県銅像の嚆矢となる清八の胸像が福井、石川、横浜、京キの業界人500有余の手で生前に建立されたのも、彼の人コを表している。この胸像は、戦 時中に戦争のため供出させられたが、昭和42年11月、業界によって再建されている。

 大正8年、産業功労者として緑綬褒章を授与される。大正9年8月73歳で永眠。

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