織の駆者達
 

中村喜一郎(なかむらきいちろう 明治の染色技術者)

 嘉永3年1月、幕末の天才科学者奇輔の長男として誕生、父が京都から佐野常民に誘われ佐賀藩に移ったため、佐賀にて育つ。少年時代は佐賀理化学学校で理学を学び、後長崎のオランダ語学校で理化学を学ぶ。明治6年に開催されたウイーン万国博に佐野常民に同行、そのおり、染色伝授生となり、ドイツに留学(伊達弥助も伝習生徒)、シュツットガルトのアニリン染料工場その他(オーストリア、イタリア、フランス)で一年間洋式染法を研究し、数十種の人造染料やその染色に必要な薬を携えて帰国、農商務省技師となる。


主な事績

 農商務省技師に採用された直後、京都府舎密局染殿教授として招かれ、日本で初めて化学染料のアニリン染料による洋式染法を指導。京染や西陣織の糸染の改良に貢献した。この間山岡次郎の紹介で福井 (敦賀県)から県費で派遣された村野文次郎に染色を教授。

 その後京都舎密局の廃止により明治16年東京へ移り大蔵省印刷局に勤務するが、明治20年8月山岡次郎から八王子織物染色講習所の教授の引継ぎ要請を受け入れ、八王子に移る。


 明治28年5月実業教育費国庫補助法により八王子織染学校と改称され、初代校長となった。この間「染織雑誌」を刊行し、八王子織物の品質向上に多大な功績があったが、明治33年辞任し、新潟県に移り、十日町染織学校長を歴任した。

山岡次郎とともに、明治の染色業を開拓した第一人者であった。
体調を崩した後、鎌倉などで静養につとめたが、大正4年5月11日、東京牛込区弁天町自宅にて死去(66才)

特報:嗚呼 染織の先駆者、中村喜一郎君逝く!
染色業の嚆矢で、長年にわたり染織業界を指導してきた
中村喜一郎君が5月11日弁天町の自宅で逝去しました!


主な著書など
「実地染色法」、「堅牢染色法」、「染色法−実地応用−」その他論文多数

「染色開拓者−中村喜一郎の生涯」を今後作成予定です
(時間がかかると予想されますがお待ち下さい)

 

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