織の駆者達
 

佐倉常七(さくらつねしち 明治の西陣織匠)
 

天保6年1月京都に生まれ、竹内佐久兵衛に奉公
明治5年11月京都府の伝習生としてフランスのリヨンに派遣される。苦労して織物技術を習得して、明治6年12月ジャカード、バッタンなど十種の機械と技術を携え帰国.
明治7年3月京都博覧会でこれらを公開、実演
明治8年1月上京戌亥町(いぬいちょう)ろ山寺に移る。
明治25年堀川通今出川下ル西今町に移る。



主な事績

 西陣は帯や着物の織り屋が集積する全国最大の和装産地である。
 紋織りは、経糸の間に緯糸を通す作業の繰り返しで、ジャガードがなかった明治時代初期までは、空引機を使っていた。機の上に経糸を持ち上げる丁稚が座り、声を掛け合いながら、経糸を調節する織り方だった。これに対してジャガードは、「紋紙」と呼ばれる記録紙から、経糸を上げる場所を示す穴を針で読み取り、自動的に経糸を調整する 革命的な織機であった。

 明治5年11月西陣の織元で働いていた織工の佐倉は、染色工井上伊兵衛、器械工吉田忠七とともにフランスのリヨンに派遣され、苦労して織物技術を習得して、翌年ジャカード、バッタンなど十種の機械と技術を携え帰国 した(吉田は3ヶ月遅れの帰国途中遭難殉職)。.
 帰国後、京都博覧会でこれらを公開、実演した。明治7年には、京都府 が東京遷都などでどん底にあった京都経済の復興に向けて織工場を河原町二条(角倉屋敷跡)に開設し、国内初の様式織機の運転が始めると、佐倉は教師に就任、 全国の伝習生に織機の操作を教えた。また金属製のジャガードは、西陣の機大工荒木小平によって木製で複製され、やがてジャカードは全国に織物産地に普及した。

後には京都市染織学校嘱託教授などを歴任した。
 
明治26年コロンビア世界大博覧会に出品、名誉賞状を受ける

明治32年7月24日 自宅で病没

明治の第1級織物技術者である高力直寛にジャカード機の操作を教えたのも彼で、福井県とのかかわりでいえば、細井順子にバッタンを教えたの彼である。村野文次郎とは長く親交があった。

新西陣織会館横には、紋紙を模したジャカード渡来百年記念碑が建っている。(写真参照)
 

福本武久先生の著書
織匠  (必読文献です)
 

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