史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


宿布発電所跡碑 (しゅくぬのはつでんしょあとひ 福井市 宿布町)
北陸初の水力発電所跡、土木建築業発展の礎

 井市内から国道158号を大野方面に東進すると、やがて右手に足羽川の流れが見えてきて、宿布のトンネルが見えてきます。そのトンネルの手前の信号を右折して、かつての本道を左側に注意しながら走ると、発電所跡とかかれた小さなプレートが目に飛び込んできます。そのプレートの矢印に沿って左の山側の道を少し歩くと、今回目的の宿布発電所跡の碑が、過ぎ去った歴史を背負うかのように建っています。
 碑の横には、地元の人達が立てた宿布発電所の由来を記した説明版があり、それには、京都電灯が明治30年から32年にかけてここに発電所を建設、そこから発電した電力(出力80KW)で、福井市内800戸に初めて電灯が灯ったとあります。実は発電所自体の竣工は北陸初だったのですが、1ヶ月遅れで竣工した大久保発電所(富山県)が電気の供給面では宿布より早くなり、電気 の北陸初供給の栄冠はさらわれてしまったのです。

 たこの工事には、後に国内を代表する建設業を起こす事になる人物達がかかわっていて、彼らの後の飛躍の足がかりとなる事業となった点で歴史的意義の高いものです。
 紹介する最初の一人は、この工事に直接石工として従事した熊谷三太郎です。明治22年に発足した京都電灯は、売電業の将来に着目、国内初めての交流水力発電所を福井の足羽川に建設することを計画、その水路建設に欠かせない石工として、北陸線の鉄道建設で実績をあげていた熊谷三太郎を起用することします。熊谷はその期待にみごとこたえ、宿布発電所の落差7mの石の水路を完成させました。
 

 宿布での成功により、京都電灯は、続いて大野に中尾発電所建設を計画。地元業者としてすでに土木請負業をおこなっていた飛島文吉の飛島組が工事に関わることになります。
宿布の工事で、その実績をかっていた飛島は熊谷三太郎に協力を求め、これが熊谷と飛島組の運命の出会いとなります。
 その後、福井市内の羽二重工場に力織機が導入されはじめると、電力需要の拡大を見込んで京都電灯は、矢継ぎ早に水力発電所建設計画を実行することになります。その中でも、明治43年から行われた小和清水発電所工事では、地元の石工前田又兵衛(初代)が参加しています。実は小和清水で石工をしていた前田は、かつて自分の在所のすぐ近くで行われていた、宿布発電所の工事現場に何度も足を運んで、熊谷らの仕事を熱心に見学していたのです。小和清水での工事を契機に前田は飛島組に入社、以後いくつもの発電所の工事に、この三人は関わっていくことになります。


 に、飛島建設、熊谷組、前田建設工業という日本を代表する建設会社を設立するほぼ同年代の創業者たちが、郷土建設の志に燃えて宿布の地に集まっていたという事に、不思議な感動を覚えずにはいられません。しかし、そんな貴重な歴史を夏草の中に封じ込めたような現在の静かな佇まいは、時の流れの速さと社会の移り変わりを体現しているかのようです。
 

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本稿は福井商工会議所報「Chamber」2000年9月号に掲載したものを一部改訂したものです。無断転載はお断りします。
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