史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■



赤坂町(あかさかまち、現月見二丁目)


 戸期、北陸道の福井城下への入口・出口に相当する地点には、北(下口)では加賀口御門といわれた大木戸が、南(上口)では赤坂口に惣木戸が置かれていた。この惣木戸付近で、福井城下の最南端に位置した北陸街道沿いの町が赤坂町(あかさかまち)で、地籍は木田地方(きだじかた)に属していた。

 名の由来は、寛文十二年(一六七二年)、足羽郡東郷赤坂村からこの地の西側山ろくに阿弥陀如来像を移し、大仏堂(阿弥陀如来堂)建立したところから、阿弥陀如来像のもともとの所在地であった赤坂村からとられたと言われている。この堂は 、のちに東雲寺と号した。現存はしないが、本尊阿弥陀如来座像そのものは、足羽一丁目の現安養寺にあり、県指定文化財となっている。

 徳三年頃の御城下惣町間数帳によれば 、当町の南端から北端まで百拾間半、道幅は二間半であった。延宝年間頃には、城下の煙草札一七二枚のうち約六割を当町が占め,煙草町の異名があったという。これらはもともと北の庄城下(片町東側)にあった町屋が、北の庄拡張のためにこの地に移転したさい、その代償として煙草札株があたえられたことに起因している。

 下では、防御上街道を屈曲させるのが通常で、北の庄でもあちこちに屈曲がみられたが、赤坂町でも南から福井城下に向かうと八幡神社のあった山に突き当たり、東側に直角に折れるようになっていた。

 た、この一帯は、現在も北陸街道の名残と道幅をとどめている数少ない場所となっているが、これは、昭和8年、福井で天皇も巡幸する全国規模の陸軍特別大演習があったと時、道路、橋、鉄道、情報通信などをはじめとする基盤整備がなされたが、当然のことながら、直角に折れるこの付近は車両をとおすことはできず、バイパスが整備され、結果的に昔の面影をのこすことになったのである。突き当たりに鎮座していた八幡神社は、この時に山が削られたため、現在は南に移動し 八幡山の裾野に鎮座している。


 政五年四月、横井小楠が福井に迎えられたとき、今庄では村田氏寿が、府中では吉田東篁と藩重役が出迎えているが、ここ赤坂町では、福井城下の入り口ということで、側用人秋田弾正が出迎え、一行は連れ立って城内に入り、七日夕方小楠は三の丸明道館横の居館に入った。
 

 の町名である月見町は赤坂町・山崎町・岡町・今坂町が合併して成立したもので、「月見せよ玉江の芦を刈らぬ先」との芭蕉の句に由来している。
 

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(初出 「福井商工会議所報」2002年5月号)
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