史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■



岡山(ひらおかやま、現 四ツ井二丁目)
    
福井城下の鬼門除け

 ツ居交番から北に向かうと志比口の少し手前に「平岡山」というバス停がある。もっともまわりを見回してもどこにも山は存在しない。本来のバス停は、今の位置から二十メートルばかり東に入った旧道に設置されていたが、道路が整備されたさい、現在地に移動した。実は、昭和四十年代前半、県立病院が拡張されるまでは、ここにはまだ平岡山の面影が残っていたのである。

 岡山、標高三三.七メートル東西二二二メートル南北一五六メートルの小丘陵。
平安中期の法典である延喜式神明帳にも、この山に比定される「枚岡神社」とみえており、かなり古くから拓けていたと推定される。

 長年間に福井松平藩の祖となる結城秀康が入国し、柴田勝家の北の庄城の跡にあらたな城を築くと、城の東北にあたるこの山を特に重視して、「不動院」を置き、城下の鬼門除けとしたことでもよく知られている。
「不動院」は寛永年間に城下に移ったが、山は名勝の地として親しまれ、江戸末期には茶園としても開拓、藩主なども訪れ、その後庶民の四季の行楽の場となった。山の中腹には隆松寺があり、境内はかつて隠れた桜の名所で、地元の人達や児童の遠足などにも利用された。

 かし、明治以降、土木工事用の石の産地として、切り出されたこともあり、大正末期にはかなり規模が縮小されていたが、昭和七年、この山のふもとに更正会病院、平岡脳病院が建設された。創始者は富田千代。医師であった夫を亡くしたあと、その意思を継ぎ、東奔西走して財団法人を設立し、昭和六年、現在の県立病院の前身となる財団法人更正会病院を、翌年福井県代用精神病院平岡脳病院をそれぞれ開設した。戦時中には一時軍に徴用されたこともあったが、戦後福井県に移管され、昭和四十年代の拡張で北側に残っていた部分も取り崩し、隆松寺も移転し、現在の陣容となった。

 の病院も手狭となり、現在新県立病院の建設がすすめられているが、今でも病院の裏手にまわると、この地がかつて小丘稜であったことを感じさせる雰囲気が残っている。

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(初出 「福井商工会議所報」2002年6月号)
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