史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


巌洞跡(たんがんどう、加茂河原町 一丁目)
   
笏谷石、幕末志士ゆかりの地


 羽川麓加茂河原地籍にある丹巌洞は、福井藩主松平斉善(なりさわ)の侍医として、また松平慶永(春嶽)の侍医長を務めた山本端庵が、江戸後期(弘化三年)に別荘として営んだ草庵で、戦災、震災にもあわず福井で江戸時代の名残を味わえる数少ない場所となっている。

 井の中心を流れる足羽川は、昭和七年に河川改修がなされたが、この時代には大きく蛇行し、この地の横を流れていた。この地域は、特産で現在笏谷石(青石)とよばれている淡緑色の凝灰岩の産地で、当時は越前石とも呼ばれていた。

 前石は凝灰岩であるため加工しやすく、建築資材、墓石など多様な用途に使用されていた。福井 を代表する歴史遺跡である一乗谷にも石仏や石塔の素材として利用されており、柴田勝家の北ノ庄城の屋根もこの石で葺かれていた。また九十九橋の南側の石造り部分にも利用されていた。江戸時代、付近の河戸から九頭竜川をとおり三国湊経由で、北国船やハガセ船によって日本海沿岸の各地に配送されて、今でも北海道をはじめ各地に笏谷石の遺構が現存している。
 丹巌洞もこの笏谷石(火山礫凝灰岩)のうえに造営されている。

 営者の藩医山本端庵は、本名を文藍、別名を士青、五雲を号とし、文筆や歌にしたしむ風流人であったと伝えられ、庭園も岩山を生かし、紅葉や雪見など四季を楽しめる風情ある見事な造りとなっている。かつては医者らしく薬草園も併設されていたという。
 また、幕末には松平春嶽、橘曙覧、中根雪江その他多数の知名人、文人が来遊しているが、勤皇討幕の志士たちに密議所として使われた所としても有名で、横井小楠、橋本左内、由利公正も訪れ、関連する書跡も数多く保存されている 他、入り口近くには、松平春嶽候の石像が建っている。

 谷石関連では採掘跡が庭園の中に残っているほか、切り出された笏谷石が河戸から川舟に載せられ三国まで運ばれる様子を、地元の画家小川春峰が描いた「笏谷石川舟積出」図も所蔵されている。

 在は料亭として利用されているが、午前中であれば申し出により見学が可能で、古色を帯びた雰囲気にひたって、幕末の志士に思いを馳せるのも悪くない。
 

▼志士の余韻が残る草庵 ▼庵の内部

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(初出 「福井商工会議所報」2002年11月号)
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