史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


秀園跡( さんしゅうえんあと、福井市照手三丁目)
 
福井県物産館が置かれた福井藩家老邸宅跡


 月橋のふもと、足羽川の北側に市営三秀プールがある。文政三(一八二〇)年頃、福井藩家老松平主馬が築造した別邸・三秀園の跡である。

 秀園は茶人薮内宗遠の設計といわれ、南と北に庭園を配し、南側の樹林の間からは、足羽山を望み、北は清泉や築山をいただき、泉石樹木の配置も巧妙で、春夏秋冬の景趣は、得がたいものがあったといわれている。
 明治の記録には「其の建築宏壮にして瀟洒たり、玄関の左に二茶室あり醒心齋、自適庵と稱す。座敷書院造り、張戸の花鳥図は景文の筆なり。南北に庭園を控え幽遂なり仙境に似たり。緑羅庵亦閑雅にして芝香松影處の天井に書ける墨龍忽ち雨を起こさんとす。此室を龍の間と稱す。其の楼上を裁錦楼と稱し足羽山の蒼翠及び対岸十里の長堤寸眸に入る、門側に一席あり坐花酔月處と稱し又別に洋館あり」と記されている。

 維新後、松平主馬家の本宅として利用されたが、東京への移住に伴い、片山平三カ(福井商法会議所副会頭)の手に渡り、明治29年に福井市が公園地としてこれを買収した。
 明治三五年の橋北の大火で一部類焼し荒廃したとされ、この間一時料亭などに貸付られたこともあったとされる。

 この地の北東部分に福井県物産館が建立されたのは明治四二年であった。

 井の物産館は明治二十年ころから記録に散見され、明治三十年には、足羽山公園に新築された。三三年の橋南大火で類焼したため、福井市佐久良下町に物産館の仮館を新築、日露戦争のときは一時閉館された。
 明治四二年復活を決め、翌四三年三秀園の一部約六千uを市が県に寄付して「福井県物産館」が新築された。本館の階上に参考品を、階下には管内の重要物産を陳列した。この頃から徐々に庭園の面影は失いつつあったとされている。

 正十年五月「福井県商品陳列所」と改名したが、大正期の商品陳列所時代で忘れることのできない事として、福井商業会議所が主催した「ロシア博覧会」がある。大正十五年四月十八日から五月二日までの会期で開催され、福井駅から会場まで紅提灯と日露国旗で飾られ、特に京町から会場の陳列所までは二七〇個の電飾で街路を照明し、不夜城の如くであったとされる。

 その後昭和十三年四月には「福井県商工館」と改称したが、戦災・震災によって施設の全部が灰燼に帰した。戦後、南部の一角に市営三秀プールが設置されたのは、昭和二四年七月のことであった。
 
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(初出 「福井商工会議所報」2003年8月号)
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