史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


直神社( よなおりじんじゃ、福井市みのり一丁目24)
 
福井藩重臣鈴木主税を祀った神社


 田四つ辻から東側の歩道を少し南に歩いたところに、木田荒町の一 里塚跡の碑が置かれた小さな神社がある。世直神社である。「世直」とかいて「よなおり」と呼ぶ。天保年間に福井藩の奉行を務めた鈴木主税を慕って建立されたものである。
 鈴木主税は名を重栄、通称主税と称した。文化十一年(一八一四)三月福井藩士海福正敬の次男として武家屋敷の並ぶ中の馬場の一角(現在の福井駅の東側、日之出一丁目)に生まれ、その後、同藩士鈴木長恒の養子となった。
 
 税は、幼い頃から学問を好み、藩の学問所(正義堂)で儒学者清田丹蔵から学んだ。丹蔵門下には、後の藩儒で幕末に多くの人材を育てた橋本左内らの師、吉田東篁もいた。
 主税と東篁に大きな影響を及ぼした清田丹蔵は、京の堺町通り竹屋町南に居を構えていた儒者で、政治的実践を重視する崎門学派に属していた。京の儒者伊藤竜洲の三男に生まれ、二人の兄とともに秀才三兄弟として聞こえた人物で、三一歳の時福井藩に招聘され、京と福井を往復しながら正義堂学芸学頭を務めた。
 
 五歳の時、主税は将来国のために役立つ人間になろうと志したといわれているが、天保七年(一八三六)それが試される時がやってくる。義父鈴木長恒が寺社町奉行に就いたのである。この時、木田荒町に課せられていた税で、民が困窮しているのを見、義父とともにこの問題の処理にあたり、撤廃にこぎ付けた。
 二四歳のとき、義父の跡を継いで藩に出仕し、天保十三年(一八四二)、十六代藩主松平慶永(春嶽)のもとで寺社町奉行となった。その仁政は多くの民に慕われたが、木田の住民は、主税の生前から、木田常願寺前に祠を建てひそかに祭った。これが現在の世直神社である。

 化二年(一八四五)主税は、藩主春嶽の側近として側向頭取に起用され、それ以降藩主を補佐して、藩政の重要事項に参画し国事に奔走した。橋本左内を見い出し、春嶽に推挙するなど人材、財政など藩政の改革に取り組んだのも彼である。しかし、永年の無理がたたったのか安政三年(一八五六)江戸常盤橋藩邸で、志半ばの四三歳で病没した。惜しまれる死であった。病床に左内を呼んで後事を託したことは良く知られている。

 和に入って、みのり三丁目の錦華紡績(後の大和紡績)の東北隅にもう一つ世直神社が建立された。寄進者を見ると、鳥居は飛島文吉、玉垣には市橋保次カ、西野藤助、山田卓介など当時の福井の財界人、著名人の錚々たる名前が並んでおり、福井の人々にとって鈴木主税の仁政はその後も幅広く慕われていたことがわかる。
 

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(初出 「福井商工会議所報」2003年10月号)
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