史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


畳敷/大安禅寺( せんじょうじき/だいあんぜんじ 福井市田ノ谷
 
福井藩松平家歴代廟所

 井市街から北西6Km、日野川が九頭竜川に合流する左岸で、丹生山地東部の中腹に大安 禅寺がある。
 もともとこの地は、越の大徳といわれる泰澄大師が田谷の山中に寺と坊舎を建立したとされる地で、中世までは門前市をなしたと伝えられている。元弘3年(1333年)後醍醐天皇が田谷寺に賜った綸旨一通も残っているほか、また平安末期の文殊菩薩や大日如来座像も現存している。
 しかし、朝倉氏滅亡後の天正2年(1574年)、織田信長の越前侵攻(一向一揆討伐)で兵火にかかり焼失し、その後放置されたままであったが、明暦元年(一六五五)、四代福井藩主松平光通の発願により、田谷寺跡に寺院が創建され、光通が帰依した当時の高僧大愚禅師を開山に招いて万松山大安禅寺と称した。臨済宗妙心寺派である。

▼千畳敷入口付近 ▼千畳敷入口引戸(門扉)

 代福井藩主の菩提寺として知られ、明治以降規模が縮小したとはいえ、戦災、震災にも合わず、現在もうっそうとした杉や檜の巨木に囲まれ ており、当時の姿を今にとどめている。最近では、境内西側に、初夏には美しく咲き誇る花菖蒲園があり、訪れる人も多い。

▼千畳敷全景 ▼結城秀康石碑

 堂から300mほど南西に入った山中には、松平家歴代藩主の廟所である通称「千畳敷」がある。福井藩の松平氏関係の寺院は幾つかあるが、光通は両親と祖先をしのび、万治2年より廟所の建設にとりか かったとされ、現在、藩祖結城秀康以下3代忠昌、4代光通、5代昌親(7代吉品)、8代吉邦、9代宗昌、10代宗矩、11代重昌の墓塔と、夫人や殉死した家臣の石碑が整然と立ち並んでいる。「千畳敷」に敷き詰められている石は1360枚にのぼり、墓塔、敷石、廟所を囲む柵、門扉にいたるまで、越前産(足羽山)の青石(笏谷石)が用いられている。特に高さ3mを超す唐破風笠屋根付き(越前式)墓塔、石碑に用いられている石材の大きさは見応えがある。また、廟所門扉(引戸)の表側には葵の紋が、内側には五七桐が彫られている。

▼笠原白翁墓

 お大安禅寺には、「千畳敷」へ向かう途中の墓所に、このほか幕末の歌人橘曙覧の墓や、曙覧とも親しく幕末に天然痘予防のための種痘に尽力した医師の墓もある。
 


地図はここです
 

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(初出 「福井商工会議所報」Chamber 2004年6月号)
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