史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


上神社( かわかみじんじゃ 福井市志比口
 
芝原用水の守護神

 井城下の七口の一つ志比口には、県内では珍しい水の神様「瀬織津姫 命」を祭った川上神社がある。

 ヶ原の戦い後、新たに福井藩主となった結城秀康は、慶長六年七月越前に入部し、越前松平家の居城となる新北ノ庄城(福井城)の築城に取組み、併せて城下の水害防止と城下の水確保のため、家老本多富正に治水事業を命じた。
 富正はこれを受け、九頭竜川に堤防を築き、また芝原用水を引いて城下の飲料水や城の濠水に供した。富正が築いた堤防は、九頭竜川左岸の松岡から北野にかけての連続堤防で、富正の隠居後の法号(元覚)をとって「元覚堤」と呼ばれていた。また飲料水は「お上水」と呼ばれ、藩の直轄として上水奉行によって厳しく管理された。なお、芝原用水の名は、取水口が中世の芝原郷に位置していたことに由来する。

▼元覚堤付近現況 ▼芝原用水/現在の取水口

 水は松岡の取水口から十キロにわたり、志比道(勝山街道)にそって南西に向かい、福井城下七口の一つである志比口に達する。ここで用水は二流に分かれ、一流は武家屋敷地や城内へ、もう一流は西に向かい町方へと通じている。

 の地はまた、福井藩が鉄砲製造所を設けた場所でもある。安政四年十一月のことであった。嘉永五年二月より福井藩は軍政改革に取り組むが、その一環として三岡八郎や佐々木権六らは洋式銃砲製造所の建設を推進し、銃器生産に取り組んだ。この地が選ばれたのは芝原用水を引き込み、動力として水車を利用するためである。
 並行して芝原用水の取水口付近(現松岡町)には火薬局が設置されたが、これは2度の爆発事故で閉鎖となった。銃砲製造所も、外国製の銃器の輸入によりその役割を終え、幕末には閉鎖となったが、その跡地に川上神社が 祭祀されたのである。

▼川上神社社殿 ▼境内に在る石碑

 政年間に、九頭竜川水系で法恩寺山を水源とする女神川の上流に祭られていた水女神瀬織津姫 命や白山麓の美都波能賣命が、芝原用水の取水口のあった松岡に、用水の守り神として移されていた。これが幕末に、地元の要望で、芝原用水流域の中央にあたる志比口の現在地に遷座、この時伊弉諾 命と大己貴命も合祀され、川上神社の名で建立された。
 

地図はここです


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(初出 「福井商工会議所報」Chamber 2004年8・9合併号)
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