史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


井商工会議所発祥の地(ふくいしょうこうかいぎしょ 福井市中央 三丁目6-18
 明治福井人の気概と殖産興業の拠点
 

 福井商工会議所は本年 (2005年)に創立125年を迎える。
 明治13年4月、その源流ともいうべき福井商法会議所が産声をあげた。創設したのは旧福井藩の士族と幕末からの商人達で、維新時の福井の殖産興業を担った人々である。当時の会員数は90名前後であった。中心になったのは元福井藩士 の伊藤真で、当時は北陸でもトップクラスの規模にあった九十二国立銀行の副支配人で 実質上の経営者であった。

 明治11年に東京商法会議所が設立されているが、この頃明治新政府は、近代国家建設に本腰を入れ始めており、富国強兵、殖産興業が急がれ、また幕末に結ばれた関税自主権のない不平等な通商航海条約の是正という問題を抱えていた。これらの解決のためには商工業の組織化と世論の後押しを必要とし、商法会議所の設立に繋がったのである。

 福井にはこれに加えて、もうひとつ重要な要因があった。むしろ、これこそが福井人を商工(商法)会議所設立に駆り立てたものといえる。
 廃藩置県後、県内の各藩は、一旦はそのまま県に移行するものの、その後福井は、足羽県、敦賀県と統廃合に翻弄されていたが、新政府は、全国府県のさらなる再編を断行、嶺北を石川県に分属させたのである。すでに敦賀県時代に、県庁を敦賀へ移転させられていた旧福井藩士にとっては思いもしない展開で、福井の地盤低下ともいうべき事態に追い込まれたのである。

 明治13年2月、石川県でも商工会議所設立の機運がもりあがると、伊藤真らは金沢での準備会に参加、福井での独自設立の必要性を痛感した彼は、地元に帰ると直ちに関係者に呼びかけ僅か2ヶ月で設立にこぎつける。伊藤ら当時の経済人には、福井の産業振興とアイデンティティ確立への熱い思いがあったことは間違いない。
 金沢に先立ち、まだ福井県も誕生していない明治13年4月24日、「福井商法会議所」は創設された。事務局は第九十二国立銀行内に置かれ、その後の明治福井の産業起こし、まちおこしを牽引することになるのである。

 九十二銀行は明治11年10月に設立され、その年の12月2日開業している。福井藩の家老や上級武士が中心となり、本県では最大規模、北陸で2番目の大型銀行で、頭取は狛元(福井藩家老)であった。

▼正面から見た跡地付近


旧本町の碑


 後に「本県金融界の覇王」といわれるほど、福井の振興を金融面で担うが、当時は佐久良中町110番地、現在の本町通りの損保ジャパンから福宝会館にかけての場所にあった。往時を偲ぶものは今は何も無いが、最近 通りの向かい側に福井藩の行事「馬脅し」に因んだ「旧本町」のレリーフが設置された。


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(初出 「福井商工会議所報」Chamber 2005年2月号)
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