史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


と月の名所・花堂玉江 ( はなんどうたまえ 福井市 花堂
 親鸞、芭蕉ゆかりの名所

 古来、月の名所といわれた「玉江」の正確な位置はわかってはいないが、花堂地区の旧北陸道と狐川が交差する地域、現在の「玉江二の橋」付近から 、江端川にかかる「玉江橋」付近に想定されている。
 和歌の奥義書「和歌色葉」などにもあげられており、葦と月の名所であった。

 場所については浅水に比定する向きもあるが、「帰雁記」に「玉江は、花堂といふ所の道の辺なり、江端の橋といふも名におひておばゆ」とある。

 玉江のある花堂は、福井城下の端という「端道(はなんどう)」の意味といわれる。
 端道の地名のとおり、江戸期は月見町(赤坂)から続く民家は僅かで、それも狐川の北側まで、南側は一面に沼地であった。戦前は、狐川南にはまだ水田が広がっていたとされる。
 しかし、今では狐川、江端川とも改修され、近くには住宅や大型ショッピングセンターなども出来て風景は大きく変貌、かつての沼地や葦の群生の面影は何も残っていない。

 歴史上の人物との関連では、親鸞、芭蕉とゆかりのある地域である。
 建永2年、親鸞聖人が越後に流罪となったさい、この地をとおり、「片葉の葦」の伝説を残している。「片葉の葦」とは、葦の葉が左右均等にならず、左だけが多くの葉がつき、右側には僅かしかつかない状態をさしている。親鸞聖人が通過したさいにはなぜかこれが多く見られたという。

▼狐川沿いの碑 ▼江端川沿いの碑

 芭蕉も『奥の細道』旅で、ここを通って今庄さらに敦賀に入っている。
 芭蕉が弟子の河合曾良を伴って江戸の芭蕉庵を出発したのは、元禄2年3月27日で、東北をまわり北陸道に入り、越前を縦断した。8月14日には敦賀に入って 、そこで月見の予定であったが、翌15日の名月はあいにくの雨となってしまった。

  敦賀に入った際、芭蕉は15句詠んだと伝えられ、その句を集めたのが「芭蕉翁月一夜十五句」として伝えられており、その中に、「月見せよ玉江の芦を刈らぬ先」(つきみせよ たまえのあしを からぬさき)の有名な句がある。

 今、玉江橋二の橋のたもとには『奥の細道』紀行の記念碑と「玉江跡」の碑が、玉江橋にも「玉江の郷」碑が建立されている。
 

地図はここです


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(初出 「福井商工会議所報」Chamber 2005年6月号)
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