史のみえる
  ■■■福井市内にみられる 中世・近世・明治・大正期の残照■■■


安寺(つうあんじ 福井市 西木田4丁目
 福井藩家老狛氏の菩提寺


 福井藩の家老を務めた狛氏の菩提寺が通安寺である。近世北陸道より 一本奥に入った通り、足羽山の東麓に在る。

 狛氏は、大和の出で、豊臣政権下では秀吉弟秀長の大和支配に肯かず一時隠棲したとされる。元和年間に福井での初代にあたる伊勢守孝澄が、松平氏に従い福井に移り、以降代々福井藩の家老を務めた。当初は1万石を有したが、江戸時代中期に「孝」を名乗る北狛(4500石)と「澄」を名乗る南狛(1600石)の2家に分かれた。

 屋敷は両家とも大名広路(現在のフェニックス通り付近)西側にあり、隣接していた。大名広路には狛家以外にも福井藩高知席の松平主馬家、酒井家、山形家、大谷家などの屋敷が集中していた。福井城の城郭とその周辺の景観を描いた「福井城旧景」(全25図)が残されているが、その中に南狛屋敷付近の旧景図もある。それを見ると、大名広路に面して白漆喰2階建ての長屋門が設けられ広大な屋敷となっていることがわかる。今、その遺構は何も残っていないが、最近になって跡地の一角にレリーフが設置された。

 通安寺は福井藩での初代となる孝澄が、父玄蕃允の菩提を弔うために建立したもので、永平寺の23世秀察を開山としている。現在も狛氏の墓所が、本堂の裏手に残っており、江戸期から明治に至るまでの笏谷石で造られた歴代の巨大な五輪塔は見応えがある。

▼五輪塔 ▼境内の石仏

 通安寺の山門は、永平寺から拝領したとされる切妻造り桟瓦葺きの薬医門である。かなり傷みもあり、風月を感じさせる。

 なお狛氏の墓所は、少し離れ泰清院の脇の通安寺飛び地にもあり、こちらは宝篋印塔形式である。

 通安寺のある通り一帯は、戦災と震災で城下町の資産を消失した福井市にあって、古い町屋の雰囲気を残す界隈として、第3回福井市都市景観賞を受賞している。
 

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(初出 「福井商工会議所報」Chamber 2005年9月号)
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