領家波氏 (しばし)

■■■南北朝から室町期「第一の家格」を誇った斯波氏■■■

斯波氏年表2

嘉慶2 11.14 斯波義将の申請により、坂井郡豊原寺領が足利義満から安堵される、義将、坂井郡豊原寺の深沙大王宮拝殿造立を立願
明徳1 9.15 将軍足利義満が斯波氏の領国越前の気比社に参詣する(幕府管領辞任をちらつかせる斯波義将への慰撫工作)
明徳2 3.12 斯波義将が管領職を辞し、越前に下向する
  4. 8 細川頼元(細川頼之の弟)管領職に補任される
  12.19 山名氏清・満幸、幕府に背き京都へ進軍開始(明徳の乱始まる)
  12.25 将軍足利義満、斯波義重(前管領斯波義将嫡子)、若狭守護一色詮範その他諸将を集め対山名氏清・満幸の軍議を開く
  12.26 将軍足利義満、若狭守護一色詮範の堀川邸に軍を敷く
  12.30 山名氏清・満幸京都へ突入、若狭守護一色詮範、斯波義重京都内野でこれを迎え討つ、氏清戦死
  - この年斯波義将、坂井郡豊原寺に同郡長畝郷の料所半済を寄進して「氏寺」としたと伝えられる
明徳3 3. 2 前管領斯波義将の政敵、元管領細川頼之没(64才)
明徳4 6. 5 斯波義将、再び管領となる
応永2 6.24 将軍義満出家する
  7.23 幕府管領斯波義将、将軍義満に従い出家する
  7.25 幕府管領斯波義将が武家では異例の「右衛門督」に任じられる
  8.15 斯波氏執事甲斐教光の子将教、将軍足利義満から足羽郡大土呂・稲津保・河北などの所領を安堵される
応永5 閏4.22 幕府管領斯波義将管領職を辞し隠居、家督も子の義重に譲る(管領職には畠山基国を補任)
応永7 -.- この頃斯波氏が管領畠山基国に代わり尾張守職となる(守護代は当初越前守護代甲斐氏が兼務し後に織田氏に替わる)
応永9 -.- この頃尾張守護代は甲斐氏から織田氏に替わり織田一族の尾張入部がはじまる(守護代織田常松は在京)
応永12 7.25 斯波義重、管領職に就任、直後に今川氏に代わり遠江守護となる(守護代は越前守護代甲斐氏兼務)、後に斯波氏分国として固定する越前・尾張・遠江3ヶ国が揃う
応永13 閏6.17 敦賀西福寺、斯波義将から寺領の安堵を受ける
応永15 2. 2 斯波義将の弟で若狭守護・加賀守護も勤めた斯波義種没(高経の五男、57才)
  5. 8 大御所足利義満没(51才)
  6. 8 大御所足利義満に太上天皇の尊号宣下の内意に対して、前幕府管領で幕府最大の実力者斯波義将の反対で、将軍足利義持これを辞退
応永16 6. 5 隠居の斯波義将、子の斯波義重(越前・尾張・遠江守護)に代り三度び室町幕府管領職となる
  8.1 幕府管領斯波義将、管領職を孫の義淳に譲り、その代行を実子の義重(義淳の父)が行う体制にする。親−子−孫による斯波氏の支配体制強化を目論む
応永17 5. 7 室町幕府の重鎮(三度管領を努める)であった斯波義将没、これにより孫の斯波義淳 管領職解任される(6月)、義将晩年の斯波氏による支配体制の布石失敗に終る
応永20 1.19 越前守護も兼ねる武衛斯波義重、敦賀郡西福寺への野坂荘櫛川郷地頭山内氏の寄進寺領を安堵
応永21 6. 9 斯波氏庶家で加賀守護斯波満種、将軍の怒りに触れ高野山に閉居、斯波氏加賀国を失う、満種派は被官二宮氏とともに大野に本拠を移す
応永25 8.1 越前守護も兼ねる武衛斯波義重、今立郡山本荘年貢内のうち3000疋を石清水八幡宮に寄進
  8.18 元管領・武衛斯波義重没(48才)
応永27 8.16 越前守護代で実際の国務を担当した斯波家執事甲斐将教没、将久(常治)家督継承(後の長録合戦の主役)
正長1 8. 2 武衛斯波義淳、下国を試みるが、甲斐氏により止められる
永享1 8.24 武衛斯波義淳、将軍足利義教より管領に任じられる
永亨2 9.1 武衛斯波義淳、幕府管領職辞任を申し出るも認められず
永享4 10.1 武衛斯波義淳、管領職を辞任
永享5 12. 1 武衛斯波義淳が死去し、将軍義教の意向により弟の相国寺瑞鳳(義郷)が還俗して 斯波家督、越前・尾張・遠江守護職を継ぐ
永亨8 9.29 武衛斯波義郷が洛中で落馬し翌30日没、嫡子千代徳丸(後の義健)家督継承
永亨9 1. 将軍義教、大和越智維通の討伐を命ず、武衛斯波千代徳丸、斯波持有を派遣す
永亨10 5 大和越智維通の合戦で越前兵多数死傷
  8 幕府軍(斯波、細川、山名)主力軍が、越智党の多武峯に攻めのぼり、全山を焼く越智氏没落
永亨11 閏1.24 永亨の乱(足利持氏討伐)に斯波氏東国出陣、甲斐将久、朝倉孝景出陣
嘉吉1 6.24 赤松満祐、将軍足利義教を私第に誘殺し、播磨に下る(嘉吉の乱).
嘉吉3 1.3 斯波氏庶家の斯波満種、父義種の由緒により加賀守護職の補任を求め、加賀に押入ろうとして家臣にとどめられる
文安3 9 斯波氏庶家の斯波持種、加賀へ出兵するも失敗(持種の祖父義種は加賀の守護で、持種は所領回復を画策していた)
文安4 4.27 越前守護代甲斐将久(常治)の京都宅が焼け、こののち斯波氏庶家の斯波持種と越前守護代の甲斐将久の対立先鋭化
宝徳3 11.19 武衛斯波千代徳丸が元服し義健を名乗る、斯波(大野)義敏元服
享徳1 9. 1 武衛斯波義健が死去(18才)、子なく、傍系の斯波義敏(持種の子)が斯波家督、越前・尾張・遠江守護継承。このため斯波氏旧臣(義敏派)と 斯波家執事を兼ねる守護代甲斐将久(常治)との対立が生じる
享徳2 12.11 越前守護を兼ねる武衛斯波義敏、坂井郡細呂宜郷の闕所を押妨
康正元 ? 斯波氏被官二宮将監が洞雲寺建立
康正2 5.28 武衛斯波義敏が守護代甲斐氏と不和となり幕府に訴える、この頃から越前国内で守護方と守護代方との対立・抗争が本格化する
長禄元 1. 1 武衛斯波義敏・父持種、京都の屋敷(武衛陣)を出奔、東山東光寺に篭る
  11. 4 京都で斯波義敏派と守護代(甲斐、朝倉、織田)派が抗争し武衛義敏派被官人が討ち取られる
長録2 2.29 幕府の命により武衛斯波義敏と越前守護代甲斐将久(常治)とが一応和睦、斯波義敏は斯波邸(武衛陣)に戻る
  3.25 武衛斯波義敏方の被官所領はすべて元の如く安堵される
  6.19 将軍義政が武衛斯波義敏と守護代甲斐将久(常治)に鎌倉公方足利成氏追討を命ず(ともに抗争中で動かず)
  7.- 武衛斯波義敏と守護代甲斐将久(常治)とが再び越前国内で争い長録合戦始まる(最初は守護代甲斐氏が優勢であった)
  8. 7 守護斯波義敏派の堀江石見守が越前に下向し守護代派を破る、しばらく守護派(義敏派)が越前を押さえる
  8.11 守護代派の敦賀郡司大谷将監が守護派に破れ自刃
  9 守護派と守護代派の抗争坂井郡等越前各所で展開、守護代派代官甲斐八郎五郎が加賀へ没落、坂井郡の守護代派代官郷の多くが空き郷となる
  10. 2 守護義敏派の堀江利真が荘園領主の返還要求に対して守護斯波義敏の「屋形判形」(承認)がなければ認められないことを通知
  10. 4 越前守護代甲斐氏が将軍に越前の所領の武力回復を訴えるも将軍義政認めず
  11. 1 甲斐敏光(常治の子)、朝倉孝景が守護代派の巻き返しのために越前下向を図るも、守護派堀江利真に阻まれ果たせず11日海津に後退、月末越前敦賀に入る
  11- この月下旬武衛斯波義敏が鎌倉公方足利成氏追討のため京を出発(江州小野で滞陣)
  12. 1 武衛斯波義敏、同様に関東出陣を命じられている守護代甲斐氏の関東出陣を幕府に要請
  12. 5 守護代甲斐氏派が加賀から越前をうかがうが失敗
長録3 2.21 一乗谷朝倉氏拠点へ守護義敏派が攻撃(阿波賀城戸口合戦)
  2.- 武衛斯波義敏と守護代甲斐将久(常治)とを和解させるため将軍足利義政が上使(真西堂)を疋田に遣わすも、義敏派の国人の反対で調停不調
  3.17 幕府、武衛斯波義敏と対立している甲斐将久(常治)を改めて守護代に任命、幕府、守護代甲斐氏支援のため奉行人奉書を下す
  4.2 守護義敏派の堀江利真が甲斐方の敦賀城を攻めるも敗退、この結果越前情勢は甲斐方に有利に展開しはじめる
  5.13 越前情勢を危惧した武衛斯波義敏が関東征伐の兵10,000万を転じて敦賀城の守護代甲斐方を攻めるも、幕府による義敏追討、甲斐氏支援の命により敗北する、800人討ち死に(これが原因で将軍義政の怒りをかい、後に義敏は 家督剥奪される)
  5.25 守護代甲斐派と越中・能登・加賀の軍勢が越前へ侵攻
  5.27 守護代甲斐氏、守護方を追い府中を押さえ、甲斐敏光が守護所に入る
  6. 1 守護代甲斐氏に従う朝倉孝景が、守護斯波義敏派を追い北ノ庄に入る
  6.- 将軍義政、斯波義敏から斯波家家督、越前・尾張・遠江守護を剥奪し、義敏の子(松王丸3才)に与える、義敏は周防の大内氏を頼る 、甲斐氏は将軍に従い松王丸を推戴
  7.23 守護斯波義敏方の国人堀江氏等盛返し再び越前に進攻し長崎に陣を敷く
  8.11 守護斯波義敏方の堀江氏と守護代甲斐・朝倉方最後の決戦(和田合戦)、堀江氏惨敗、朝倉孝景勝利して主導権確立
  8.12 越前守護代甲斐将久(常治)没、子の敏光家督継承(敏光は守護派との抗争で越前に下国中のため一時孫の千菊丸に補任)、斯波氏の宿老で特異な家格にあった甲斐将久(常治)の死は相対的に朝倉孝景を押し上げる形となる
  - このころ専修寺の真慧、越前に入り教えをひろめる。
寛正2 9. 2 幕府、斯波家督に松王丸を排し、斯波与党で遠縁にあたる義廉(渋川氏)を任命し、甲斐氏・朝倉氏に補佐を命ず( 渋川氏はこの時期鎌倉公方討伐で重要な位置にあったが、事実上の斯波家の分裂で、応仁の乱の原因となる) 。松王丸を推戴する甲斐氏の政治力に翳りが見られはじめる。
  10.16 斯波義廉、室町第に参内、治部大輔に補せられる
  10.17 義廉擁立に功績のあった朝倉孝景に河口荘・細呂宜郷・吉崎等越前、越中の領地が付与される、朝倉氏徐々に守護代甲斐氏を凌ぎはじめる。
     
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